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会社概要

相志相愛

普通は「相思相愛」と書きますが、弊社は『相 “” 相愛』を経営理念とさせて頂いております。

実は創業以来100年以上明文化された経営理念はありませんでした。5代目の私の代で2011年に作成した最初の経営理念は『お客様の繁栄なくして 我が社の繁栄なし』でした。この経営理念もとても気に入っていたのですが、コロナ禍を経験したことがきっかけで見直しました。

コロナ禍で消毒液不足の中、弊社はお客様に安定して消毒液をお届けすることが出来ました。それは日頃からお世話になっている仕入先様が、弊社への供給を必死になって確保してくださったからでした。この時に弊社と同じように、顧客の繁栄を一番に考えてくださっている仕入先様のありがたさを痛感しました。日頃のお取引で築いた信頼関係のおかげで、コロナ禍のような緊急事態でも商品を供給することが出来ました。その時に同じ志を持った仕入れ先と弊社とお客様、そしてその先の地域社会がつながるコミュニティーの大切さを感じました。今までの理念は弊社とお客様しか入っていなかったことを反省し、新たに経営理念を作成することにしました。

情報が溢れフェイクの時代ともいわれる昨今、大切なことは「お客様の繁栄があってこそ、我が社の繫栄がある」という志を共有するパートナーと生み出す善循環の構築であると私たちは信じています。

黒﨑 英典

KUROSAKI HIDENORI

株式会社クロサキは、明治40年(1907年)に金物屋「黒崎清五郎商店」として栃木県宇都宮市大工町で創業しました。

しかし創業者である初代清五郎は、5年後に病に倒れてしまいました。享年40歳でした。

葬儀を終え商いを再開した初日、店の前には売掛金を持ったお客様の列が出来ていたそうです。当時売掛金等の管理は清五郎が行っていたため、残されたサワはどこにどれだけの売掛金が残っているのか分からなかったそうです。
そのような状況を察したお客様の恩情により、商いを続けることができたとのサワの言葉がいまでも語り継がれています。

その後サワは、残された幼い子供5人を育てながら、黒崎清五郎商店を女手一つで必死で支え守り抜いたのでした。サワは晩年、人生を振り返り事あるごとに周囲の人々へこう語っていました。

「私の夫は、顔も良く、頭も良い、本当に素晴らしい男性じゃった。私はあの人の子供を5人も授かる事ができて幸せじゃったぁ。」

失意の中のサワを支えたのは、夫への尊敬の念と家族への愛情、そして残されたサワを応援してくださった多くのお客様への感謝の想いでした。

「ご縁を大事にしなさい」

黒崎家に唯一語り継がれている家訓は、そのような体験から生れたのでした。

初代 黑﨑清五郎

初代の妻 黑﨑サワ

(株)クロサキの歴史は、遡ること明治40年「黒﨑清五郎商店」という名の金物屋からのスタートでした。徐々に理容関連の商材に特化していき、現在の理美容器材総合卸に至っています。

1907

明治 40

宇都宮市大工町にて 「黒﨑清五郎商店」創業

当時茨城県古河市にあった関東一の金物問屋「大八百藤」に勤めていた創業者黑﨑清五郎は、1907年(明治40年)に独立して、宇都宮市八日市場にて「黑﨑清五郎商店」という名の金物屋をスタートしました。当時の写真が残っていますが、理容器具以外にも農機具や銅鐵物なども取り扱っていた様子が伺えます。当時は荷物を背負って地方まで廻っていたようです。初代清五郎は体が弱く、1912年に病で亡くなっています。享年40歳でした。

1916

大正 5

黒﨑清五郎(2代目) 社長就任

1926

昭和 元

宇都宮市大工町へ移転

1935

昭和 10

宇都宮市一条町へ店舗移転

2代目清五郎が同じく古河の金物問屋「大八百藤」で奉公を終え、1916年(大正5年)に家業を継ぎました。2代目清五郎は精力的に活動し商圏を拡大、栃木県内全域はもちろん、山形、福島、茨城、群馬にまで理容椅子を売りに行ったそうです。新しもの好きな性格で、ブラジルに渡って一攫千金を夢見たり、10銭ストアー(いまでいう100円ショップ)を始めたり、オートバイのインディアン号を宇都宮で初めて乗り回したりと豪放磊落な性分だったようです。

1943

昭和 18

戦争の影響で休業

1945

昭和 20

営業再開

「有限会社黒﨑商会」設立

1947

昭和 22

黑﨑孝一(3代目) 社長就任

戦争により休業していた時期もありましたが、終戦で3代目孝一が徴兵から戻り営業が再開されました。当時は売るものがなく、川口まで電車で仕入れに行って販売していたようです。戦後の復興と共に商売も元に戻り始め、栃木県内全域の理容室を中心に商売をしていました。父親譲りの新しもの好きは引き継がれ、数々の新製品を東京より栃木県内に持ち込み、お客様からご好評頂いたようです。しかし、孝一がまさに絶頂期を迎えようとする45歳の時に体を壊してしまい、現役を引退することになります。

1975

昭和 50

宇都宮市菊水町へ本社移転

1980

昭和 55

黑﨑成一(4代目) 社長就任

1989

平成 元

「株式会社クロサキ」設立

2007

平成 19

ネオフィリア インターパーク店 開店

3代目の体調不良を受け、4代目成一が大学に通いながら家業を手伝うようになります。卒業後、すぐに代表となり、混乱する会社を立て直します。団塊の世代である成一を中心に、社員もお客様も時代の勢いと共に成長していきました。1980年に本社を移転し、長年お客様から慣れ親しまれた東武デパート横の社屋は売却、現在は東武デパートの立体駐車場となっております。アイロンパーマブームなど理容業界は最高の盛り上がりを見せます。しかし、グリコ森永事件でのパンチパーマのイメージダウンから徐々に業界にも変化が起きていきました。

2010

平成 22

黑﨑英典(5代目) 社長就任

2015

平成 27

本社移転(宇都宮市菊水町11-10)

2020

平成 27

新社屋移転(菊水町12-7)

2000年代に入ると、カリスマ美容師・テレビドラマ「beautiful life」などの影響もあり、理容師希望の学生数が激減し美容師希望の学生が爆発的に増加します。適正化規定の撤廃による自由化、美容業界が急成長し20万軒を突破、カット専門店など新しい業態の登場もあり、理美容業界が大きく変容を遂げます。5代目英典に代わり、オリジナル商品の開発、美容部・店頭販売部門の設立など新たな試みを行い、既存市場である理容業界を基盤に、新たな市場を開拓に取り組んでおります。

社名

株式会社クロサキ

創業

1907年(明治40年)

資本金

1000万円

代表者

代表取締役 黒﨑 英典

従業員

13名

事業内容

理美容器材総合卸

事業所

本社
〒320-0844 栃木県宇都宮市菊水町12-5
TEL 028‐636-5828
FAX 028-636-5820

物流拠点
〒320-0844 栃木県宇都宮市菊水町12-7 1階
TEL 028-636-5828

販売網

ルート営業:栃木県・茨城県 他
ネット販売:全国

主要取引銀行

栃木銀行・足利銀行